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タラ戦争 1944年に独立したアイスランドも戦争をしたのです。 アイスランドは軍隊を持たない国ですが(ちなみに駐留している米軍も2006年に9月に撤退する方向なのです)、漁業をめぐってアイスランドの沿岸警備隊とイギリスの艦隊が衝突したのがこの戦争です。 三度の衝突が見られたのですが、順を追って説明していきます。 第一次タラ戦争 1958年、アイスランドは領海を4海里から12海里に拡大する法律を制定した。これまでアイスランドの近海で漁業をしていたイギリスはこれを認めず、イギリスの護衛艦とアイスランドの沿岸警備隊との間で軽い衝突が起きた。1961年2月、イギリスはアイスランドの領海拡大を認め、アイスランドは今後の領海紛争の際には国際司法裁判所に付託されることを承認する交換文書を締結することで、終結という形をとった。 第二次タラ戦争 アイスランドは次は1972年、漁業専管水域を50海里へと拡大する新法を制定した。国際司法裁判所の判決ではイギリス側の主張が受け入れられたがアイスランドが従わなかったため、イギリスは再び漁船保護のため護衛艦を送り出した。一方アイスランド側はといえば、沿岸警備隊がトロール漁船の網を切断する道具を使い、多くのイギリス漁船に被害を与えた。アイスランドはNATO離脱とイギリスとの断交をほのめかしたため、アイスランド内のケフラビーク空軍基地を使用できなくなることは避けたいNATOが調停に入り、イギリスの艦隊は全て本国へ引き返し、アイスランドは1973年11月、イギリスの魚船が50海里内の一部の水域でのみ操業することを認める協定を結ぶことにより、第二次タラ戦争は終結したのである。 第三次タラ戦争 そしてさらに1975年10月、漁業専管水域を200海里へと拡大する新法をアイスランドは制定したのである。警備艇と軍艦の衝突は以前より激しくなるのだが、イギリスを除く各国は次々にアイスランドと漁業協定を結ぶこととなり、イギリスは不利な立場に置かれることとなる。そして再びケフラビーク基地の撤去とイギリスとの断交をカードに、NATOの調停を引き出し、アイスランドの200海里内ではイギリス漁船は最大24隻までしか操業できない等のアイスランドに有利な漁業協定が、1976年6月に結ばれることにより、終結した。 タラってなんだ!!って思ったりしますが海洋資源の重要さを考えると「タラ戦争」もなるほど、感じます。 アイスランドにもこういう一面があったんですね!! 7期山中 アイスランドの歴史(9世紀〜10世紀) アイスランドという国は、9世紀後半にノルウェーからの移民が入る前は無人島であったと言われています。この移住についてと、アイスランドの名づけ親を紹介しましょう。 アイスランドへの「移住」が始まったのは、870年代、インゴールヴという人物によるものでした。しかし、本格的な移住が始まる前にも、ノルウェーやスウェーデンからヴァイキング達がアイスランド島にやってきていました。 たとえばナードットという名のヴァイキングは、彼の感覚での秋であるのに、雪が降っていたためこの島をスネーランド(雪の島)と名づけました。そして、同じくヴァイキングのフローキが、流氷を見てアイスランド(氷の島)と名づけたといいます。 インゴールヴの移住が始まってから、約60年後にすべての土地が植民されました。この土地の決め方ですが、「春分の日に、太陽が昇ってから沈むまでの間に、男なら火を、女なら牛を連れて歩けるだけの土地」を所有できたといいます。デンマークのシェラン島引き神話のようですね。 この植民の際、90%はスカンジナヴィアから、10%はアイスランドからの移住があったといいます。 移住に関し、1100年以上前の資料としては、「アイスランド人の書」「植民の書」があります。どちらもサガの中では有名なものですので、日本でも簡単に読めるでしょう。 6期大島 |
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